2010年10月30日土曜日

あこどませが

2010年10月9日土曜日


闇稽古ということ(最終回)


・・・・ともかくやり通した。

心の弱さも実感したし、達成感で身体が包まれていた。
最後の振りを終え、四方に神式の礼をして
そばにある石に腰掛けた。

膝を曲げたときの痛みを忘れない。
それでも達成感の方が勝っていた。
しばらくして立ち上がろうとしたとき、自分の考えが甘かったことを反省した。

立ち上がろうとしたとき、膝に激痛がはしり思わずその場に座りそうになった。
長い時間、たぶん6~7時間立ちっぱなし動きっぱなしで、
膝に負担がかかっていたのだろう。
そこまでの想像力はなかったし意識もなかった。
でも身体は、この徹夜稽古がどのような負担を強いていたか刻んでいた。


アクセル、ブレーキのペダルを踏み換えることさえつらかった。
帰宅してシャワーを浴びて、ゆっくりしようと思ったら睡魔が襲ってきた。
相当、身体への負担があったにも関わらず、このように稽古が出来たのは
気持ちが勝っていた結果だったのかもしれない。

この稽古が今後の自分にとって、なにかを残してくれることを期待している。
そしてこの稽古は、今年もまた実行してみるつもりだ。

昨年のと、今年のそれの変化を確認するために。
今年は10月の三連休あたりかな。

・・追記
10月の三連休はちと無理みたい。
年取りたくないなぁ・・・
いつでもというのが格好イイと思うんだけど、
稽古は準備が必要な年になってきている。




2010年9月6日月曜日

闇稽古ということ(その4)

前回、空が明るくなり稽古も終わりになりかけた、と書いた。

これが、長い自分自身の心の弱さを自覚することになるとは
その時はまったく気づきもしなかった。

続けても続けても、空は一向に明るくならなかった。
明るく感じたのは、単に雲が流れて薄くなっただけだったようだ。

何時なんだ?
あとどのくらいで夜は明けるんだ。

このことで頭は一杯になった。
一度終わりを設定してしまうと、気持ちがそちらを意識してしまい
ゴールのことしか考えられなくなっていた。


そのうちに気持ちに大きな変化を感じることが出来た。
暗いことも、不気味な音も、空が明るくならないことも気にならないのだ。
まわりの状況はまったく以前とは変わっていなかった。
なのに、この変化は?

後付の事だが、これは意識が集中の度合いを高めた結果
いまの目的に対して、ほかの意識を遮断したということかもしれない。
よく人は危機に瀕すると、脳回路が必要以外の情報を遮断して、
脳の経験値をすべて利用して、命を守ろうとするということだ。
大げさだと思うが、それに近い感じではなかったかと。

もう音も怖くない。
夜もいつまでも夜な訳はないから、時間が経てば明るくなる。
ともかく今は稽古だ、という意識。

それから何時間だったのだろう?
急に空が明るいぞ、と感じた途端、足下の雑草、廻りの木々の緑が
眼に感じ始めると、空は急に青っぽさを取り戻した。

その時、太陽の神を感じた昔の人の気持ちが分かった。
すべてに色がつくのだ。
太陽が、光がすべてのものに色をつけ、賑やかになる。
その時、人間もその色によって気持ちが元気になる。
活動的になるのだ、神と言わずしてなんであろうか。

・・・・ともかくやり通した。

2010年9月1日水曜日

一人稽古の場所は、他人が入ってくる場所でもある。

いままでご紹介してきたように、私の稽古場所は自然の中にある。

まったく雑木林の隣、雑草が生い茂り虫や動物が生息している場所。
とはいえ天然自然ではなく、河川敷なのでどちらかというと人工的な場所。
隣には水田が拡がっているので、見晴らしはとてもいい。
その分稽古していると丸見えになるわけだが。

それでも夏は背の高い雑草が伸びて目隠しになるので
人目はあまり気になることはない。
ただ近くの公園を散策している人たちが、ときどき雑木林からの
抜け道として稽古しているところに出てくるので、お互い気まずい思い。

相手は引き返すことも多いが、そのままこちらに向かってくる人もいる。
だいたい年上のひとか、ちと変わった風に見えるひと。
こちらも迷惑だろうと、稽古を止める。
向こうが緊張して私の脇をすり抜けて行くのがわかるので
なるべく明後日の方を見ているようにしている。

まぁ、そんな場所。

もう一つ、夏には問題がある。
週末しか行けないので、一週間経つと雑草が伸び放題なことである。
夏の暑い盛りに、稽古前に草刈りで汗が出きってしまいそうになる。
いや、ほとんど脱水症状になることもあった。

頭が痛くなってきて、ぼんやりとしてくる。
それでも武道をやっているような人間は、どちらかというと
自虐的な感じなので、そのフラフラ感が稽古をしているように実感する。
だからそのまま稽古に入るが、いつ倒れてもおかしくないような状況なんだと思う。

あまり無理しないようにしたいものだ。
とはいえ、夏の草刈りからは解放されそうもないしなぁ。

2010年8月30日月曜日

闇稽古ということ(その3)

闇稽古ということ(その1)
闇稽古ということ(その2) からの続き

恐怖心の元は、他にもあった。

近くを走る道路から暴走族のバイクの音、その後に続くパトカーのサイレン。
そして暴走族の爆音が、この河川敷の公園に入り込んできたような近さで聞こえる。
パトカーに追われて脇道に入ったり、隠れようとしてこの近くに来たら・・・と
想像は止まらない。
正しく負の想像力だ。

如何に自分の腹が据わっていないか自覚した。

それでも素振りを続けた。
いままで習ってきた業に集中することしか、今はやることが出来ない。
一歩二歩、歩いて振る。
飛び込んで振る。
振る、振る、振る。

何時間くらい経ったのか。
次第に音も暗闇も気にならなくなってきた。

気づいたことをメモしながら稽古を続けた。
しばらくして、何となく空が明るく見えた。
意外に稽古に集中していると夜明けも早いんだなぁと思いつつ
移動しつつの素振りにも気が入っていく。

もう終わるのか、なんだかもっと続けたいような気がするな。

2010年8月27日金曜日

闇稽古ということ(その2)

 闇稽古ということ(その1) からのつづき


当日は雲が空全体に拡がり、月が見えなかった。
すでに暗いと感じていたが、稽古を始めていくうちに、
空がさらに濃さを増していった。
闇というのが変化することを実感した。

稽古してまもなく比較的涼しい日だったにも関わらず、
背中に冷や汗みたいなものが流れるのを感じる。
稽古を続けていったがしばらくして、この冷や汗は恐怖感が原因だと思った。

闇に向かって、移動しながら素振りを繰り返していく。
どこからか聞こえる「音」に身体が反応しているのだ。

冒頭に説明したように、この場所は河川敷にある雑木林。
雑草が生い茂っているような場所。
今まで陽のある時にも、みたことある動物はネコ、野犬(3匹ほど)、タヌキ。
昆虫の類は、バッタやスズメバチ、トンボ、カエルなどなど、カナヘビも見た。

そんな場所にいる生き物の声がするのだが
びびっているのは、虫の声・・・そして自分が踏みしめた雑草が復帰する音。
風に擦れあう樹木の葉、笹、雑草。
ありとあらゆる 音 に恐怖心を向けている自分がいた。

本当に何が出てくるのか、人間の想像力の逞しさを思った。
以前、読んだ本に
怖いのは人間の想像力だ、という文章があったように記憶しているが、実感した。

・・・続く

2010年8月21日土曜日

見取り稽古ということ

武道の稽古は、人に教えてもらって上達するものではない。

その武術の内容によるし、そこに集まってくる人数にもよるという前提だが。
ここが一番スポーツと武術の差のような気がしてならない。
スポーツはプレーヤーの特性(個性)に合わせてトレーニングしていくが
武術は絶対的な術があり、それに身体を合わせていくのが稽古。

その上で、身体が動かない、硬いなどの個人差が出てくるのは当然。
でも出来ない、動かないで諦めていると続けることさえ怪しくなってくる。
しかし、動かないけど近づけようとする努力、身体は硬いけど柔らかくなるはずと
信じて稽古することが、数年後の大きな差と帰ってくる。

それは間違いのないことなのだが、大体の人は諦め、そして形が変わっていく。
形が変わっていくのを注意されると、オレの身体では出来ない・・と言い訳。
しかし、稽古している先達の人たちをよく見て欲しい。
その中には自分と同じような体つきの人や身体の硬い人などもいるに違いない。
その人を見ているとヒントになり、身体の動かし方を知ることになる。

それが、見取り稽古である。

身体の使い方も知ることができるし、型稽古の流れも知ることができる。
・・・できるのだ。
しかし、そのことが出来ないことが多いように感じる。
どうしても武道は身体動かして、木刀を振ることばかりが稽古ではないのだが
ついついそちらの派手な方ばかりしたがるもわかるが、
見取り稽古という稽古があることも知っていて欲しい。


そしてついでに言うと
武道は、丁寧に教えられるものではないことを 書いておく。

最近BLOGで見つけた文言の中に
初心者には「丁寧」に教えますので、安心してきてください、とあったので。
丁寧に教わることは最初だけにして欲しい、と思う。
あえて蛇足になるが。

2010年8月19日木曜日

闇稽古ということ(その1)

昨年、一晩中稽古をし続けるということを計画し実行した。

本題に入る前に、いつも週末になると稽古している場所についての説明を。
関東でも有数の河川の河川敷に拡がっている公園。
そして雑木林を境界として、その隣には水田がある場所。

その雑木林と畑の境界でいつも稽古をしている。
冬は手もかじかむくらいの寒さになるが、稽古をしていると身体は温まるので楽だが、夏ばかりは特に大変な場所だ。

熱中症にもなりそうになるし、蚊に刺されながらだし。
その上雑草が伸びるので、ある時はまず雑草を刈ってからの稽古となるが
草刈り自体で十分に汗を出し切っちゃうので、すでに脱水状態になってしまう。
というのが、いつもの稽古場所だ。


そんな場所での 闇稽古を数年前からやりたかった。
で、実現できたのが昨年秋。

22:00過ぎに稽古場所に到着。
田んぼの畦道を通り稽古場に行くのだが、もう何百回とクルマで来ているので、
もう目をつぶっても行ける状態(もちろん実際にそんなことしたら落ちる、確実に畦から落ちてしまう)。


徹夜稽古を始めるにあたり、こんなことを取り決めた。

・座るな、座ったら負け。
・クルマに戻るな、戻ったら負け。
・時計を見るな、見たら負け。
ひとつでも負けた場合は、即刻帰宅することとした。

そして稽古して思ったこと、感じたことをメモするために
ボールペンと反古紙も用意して臨んだ。

もう蚊も飛んでいない秋だったので、そのことは楽だった。

・・・続く

2010年8月17日火曜日

古武道稽古で怪我する事は、あってはならない

右手首を傷めたらしい。

以前、もう三月ばかり前に酔って転倒して、その時に右手首を折ってしまった。
しばらく安静にしてなきゃならないにも関わらず、直ぐに稽古を始めた。
そのせいでか、ひと月経っても痛みが続いていた。

そこが痛むのだ。

手首、小指側(尺骨)にポコッと出ている骨の脇が膨らんでいる。
振り切った時に手首を小指側に曲げる振り方が原因だ。
しかし、腫れているのか手首のところの痛みは良くなる気配がない。
むしろシャ骨に痛みがある部分をみつけた。

だから筋肉痛なんてものでなく、異常は骨ということになる。

武道で身体を痛めるなんてことがあっていいのか。
私の稽古が変だから怪我をする。
これは、即刻 稽古の仕方を変えなくてはならない。

2010年8月15日日曜日

今日の夕焼け番長

昔のアニメで、夕焼け番長というのがあった。
喧嘩に明け暮れる少年のお母さんが亡くなるんだけど、
その時に夕焼けが綺麗だった、

それでその後も喧嘩をするんだけど、
喧嘩の最中でも、夕焼けを見ると涙がでてしまうというストーリー。

特にそれが関係あるわけではないのだが
週末に個人稽古にいく場所は、正しく天幕の場所。
帰るときに夕焼けがきれいだったりする。

その夕焼けの紹介

2010年8月13日金曜日

身体の使い方

甲野善紀氏の話ではないが、
踵で歩くと、そのスピードも早くなるように感じている。

歩くという行為は、健常者なら毎日の行為。
その中で、歩くことに負担の掛からない歩きかたは重要だと思う。
逆に膝を使って歩くと、ゆっくりした歩き方ができないように感じている。

この歩き方を今度時間のある時に図解したいと思っている。
これは腰痛をお持ちの方には、負担が少ない歩き方なのだ。
しかしこの歩き方は誰もができるということではない。

だから世間一般のように広まることはないと思うが
少なくとも私には腰痛はない。
もちろん稽古しているということもあると言われそうだけど
そんなこととは関係なく、歩き方について語ってみたい。

これも武道をしているからの発見でした。

2010年8月12日木曜日

稽古するということ

ほとんど毎日(毎晩)稽古をしている。

それは稽古をしている自分が安心するから。
稽古をしない日があると、翌日はものすごく負けた気分になる。
これが自分をコントロールできなかったことへの嫌な気分なんだと思う。

克己(心)

武道でよく言われている言葉だし、日本手ぬぐいなんかにもよく書かれる。
ここらあたりが「心」を鍛えることのできる武道ということになるのかも知れない。

一日休むと三日後退する・・・。
そんなことも言われる。

毎日稽古したって強くなるとは限らないじゃないかとも思う。
でも稽古しないともっと弱くなるかもしれないのだから、稽古するしかない。
つまり稽古をすると言うこと自体、心技体 を鍛えていることになる。

たとえ、毎晩の稽古が素振りだとしても、ただ回数をこなしているだけだとしてもだ。

2010年8月11日水曜日

航空券の安さと武道の経験は反比例する

片道に数万円、往復でいくとそれなりの予算が必要だった。

二十数年まえから、地方都市に古武道の稽古に行っている。
当時は片道三万、往復で六万・・・宿泊など入れると十万の予算。
年に一度しか通えないから、毎月の小遣いをちょっとずつ貯めていって
一気に使う、この事が快感になり始めてはいた。

でも通っているうちに、当然向こうの人たちとも仲良くなってくると
夜の付き合いも出てくる・・・すると、お金も予算を超え始める。

それでも一日たりとも観光する事なく、毎日朝から晩まで、
そして終われば皆とアルコール摂取に出かける毎日。
お金が持たない・・とても行きづらくなって来た頃、なんだか航空券が
安くなり始めた。

片道半額、いやそれ以下の時も。
そのときは実感はなかったけど、年に一度が二度になった・・・。
すると家庭を空ける時間が多くなって、さらに子供も小さかったから
妻のストレスも結構大きくなって来た。

で、対策として考えたのが、家事をするということ。
布団上げ、掃除それもベランダから玄関、お風呂も・・・。
少しは女房のご機嫌も良くなり、また地方都市の稽古場に通えるようになった。

まぁ今でこそ航空券が安くなっているけど、安くなれなければ
こんなにも通う事が出来なかった。

ということは、オレの武道は航空券まかせって事なんだ。
ありがとう、日航、JAL。
早く再生して、安心させてくださいね。

2010年8月9日月曜日

自分の掌が持たない

素振りしていたりしている分には問題ない。

しかしあるときから手のひらはもちろん、指の関節が痛い。
これは自分の振りのスピードに対して、握力が対応していないように感じる。
握るときの小指第二関節などが痛む、軋む・・・。
振りのスピードが早いのは上達したのかと得心もするが、
そのことににぎり自体が付いて行っていない。

結局、バランスが悪いということか・・・


バランスよくそして身体の一部分に余計な力がかからないこと。
これがいわゆる古武道の本当だと思う。
生活の中の一部分な武道であるからこそ、身体を傷めずして続く。

つまりここがスポーツとは違うところだと思う。
スポーツは身体に負荷をかけても、その特徴や勝負に勝つことを目的とするが
武道・・いわゆるサムライのそれは、日常の中に入り込んでいたはず。
極端な言い方だけど、ご飯と同じくらいの存在感だったと思う。


ともかく、この手の中の痛み、関節の痛みはツライな。
それなりに大切に回復させないといけない。
武道は一過性なことではなく、死ぬまで続けていきたいことだから。
生きているのに、途中で続けられなくなることこそ最重要案件
注意事項である。

2010年8月8日日曜日

脚幅は、肩幅ということ

小学校の頃、父の強い勧めで柔道をやらされていた。

小さい頃は身体が小さくて、どうしても力勝負になる小学生の柔道で
勝てないから面白くなく、あまり熱心ではなかった。
というよりやりたくなかったのだから、勝てるはずもなく
悪循環の繰り返しだった。

それでも、自然体として一番最初に習うことが 
脚は肩幅に開く、というものは覚えていた。

こらえ性のない私は高校時代、空手部にいた。
単純にブルース・リーが流行っていたという理由によるものだが
ここでも最初は 肩幅の脚幅がキーになっていた。

そして今の古武術にいたり、ここでも最初に立つときの
脚幅は 肩幅 と言われた。
教えられたことは、まずはそのままに動くこと。
これは絶対的なことだ。


二十年続けてきた今になって、この脚幅は肩幅、という重要性が分かってきた。
これ以上広くても狭くても動きが遅くなるのだ。
肩幅より狭ければ安定性に欠けるし、広ければ一度片方の脚に重心を移さないと
動けないということが分かった。

当然だろう、とすでに理解している方は多いのかも知れないが
実感として理解できるまで、私は自分の身体にすり込む時間が
人よりもかかってしまうのかも知れない。

単純なことの重要性、いま一度ちゃんと振り返ってみたい。
きっと最初に言われたことに一番需要なことがある、のかもしれない。

2010年8月7日土曜日

踵で歩くということ

二十代後半から武道を稽古して来た。


相変わらずヘタクソだ、思うように身体が動かない。
年とってから始めるという事は、こういう事なんだな。

でもあの歳まで待ったから、出会えたんだと思うし
自分のやる気次第で歳取っても出来るし、死ぬまで出来るものと
出会ったことを幸せだと思う。


その稽古の中で、気づいた事がある。
それはつま先で後ろに蹴るのでなく、踵で蹴る歩き方が身体の上下変化が少ない。
さらに動きに予備動作がなく動けるので、瞬時に身体の位置を変えられる。
その事に気づいてから、昔の人たちの歩き方、すり足という意味がわかった。
完全に縦横移動が出来るのだ。

しかもこの歩き方は腰への負担がとても少ない気がする。
できれば、この歩き方を表現したいが、ボクの作文能力だと今はうまく伝える自信がない。
どうすればいいだろう・・・。


表現は近いうちに挑戦するとして、踵で動くと予備動作なく動くので
色が出にくく、相手を虚に陥れる事で少なくとも相手より早く動けるし
攻撃されてもすぐに対応が可能になる。

まぁ攻撃されないのが本当の「武」なんだろうけど。

さらに踵で歩くと疲れないように感じる。
前傾姿勢で足を出す歩き方、しかも蹴るのでないので無駄に筋力を使わない。
幕末の剣豪、山岡鉄舟が成田山を陽の明るいうちに往復したという逸話があるが
(成田山までは日本橋から60kmくらい、だから120kmを12時間程度かな)
一時間10kmかぁ、この歩きかただと可能かもしれない。

またこの件について書きたいと思う。

2010年8月3日火曜日

古武道を始めた理由

二十数年前に、連続幼児失踪殺人という猟奇的な時間があった。

宮崎勤事件。
幼児を誘拐して殺害するという事件。(書くのもおぞましい、悲惨な事件でした)


その頃、誕生したのが長子になる娘。
初めての子供だったけど、被害者と被害者の親の気持ちに入れ込んだ。
もし、うちの子にこんな事があったら、必ず自分の手で復讐してやる、と思った。
子供の手を握り、手首を触ってほんの力を入れただけで折れてしまうような、こんな子供を殺すなんて・・・ものす
ごく憤っていた。

子供にとっては、親が法律だと思う。
子供は親の善悪の判断に基づき、自分の考え方などをまとめていき育つ。
であれば、子供を護るのは親の絶対義務ではないか!という思いと、まだ善し悪しの判断も定かでない子供を被
害者にするのは卑怯だと思っていた。

ここで考えの飛躍があったのだが・・・
・結婚して少しどころか 12kg も太っていたこと。
・鉄砲で敵討ちは卑怯、親が自らを鍛えることで復讐とすること。
・やり損じがない事を選ぶこと。
などと考えていたら、ある古武道に行き当たった。
それから始めたということにしているけど、ほとんど当時から理由自体をあまり意識はしていなかったなぁ。
選んだ古武道の稽古が、できること自体が楽しくて、嬉しくて・・・。


おかげさまで、うちの子はすくすく育ち、今や成人にもなった。
今となっては復讐だとか敵討ちだとか自体より、自分稽古になっているけど。
大きなきっかけは、少なくともこの事件だった。

・・・被害者の方々のご冥福をお祈りします。

合掌



2010年8月1日日曜日

スパッツ(レギンス)の効用

私がしている古武道は、宗家のお住まいの場所でしか出来ません。

そしてこちらでの武道稽古は、基本的に自主稽古。
つまり一人稽古が主なものになります。
10年ほど前から、月に二度仲間が集まって稽古を公的な場所を借りてしているが遠く横浜、鎌倉、千葉からみんな電車賃を使って集まってくる。
この公的稽古の話は、日を改めて書く事にします。

あとは毎週一人で河川敷でしている稽古の二種類の稽古を続けている。
一人稽古の場所は、河川敷といってもどん詰まりの場所で雑木林が近く、雑草が生い茂る場所。
ちょっとすると草刈から始めないといけないような場所。
だから昆虫やウシガエルの鳴き声まで聞こえるような場所でもある。
つまり自然と渾然一体となりながら、稽古をしているわけだ。

さてタイトルのスパッツの件。
いままでマラソンとかで着けている人を見かけたが、格好つけか防寒かとしか思っていなかったものだが、何か格好がいい感じなのでずっと欲しかった。
昨日近くのディスカウントストアで、980円で売っていたのですぐに買った。

で早速着けて稽古に行ってみた。
すると汗をかけばかくほど、放射熱の働きで涼しいのだ。
一応、うえに短バンを履いていたが素足よりも涼しいと思った。
こんな効用があったとは知らなかった・・・格好つけではなくちゃんと理由があったんだ。
体験してみないで、先入観で判断するのは本当に危険だ。

しかし、前述した自然と調和しながらの稽古場は、蚊も当然多い。
スパッツを着けているから、刺されないかなと思っていたら

とんでもなかった・・・


な、なんと風呂から上がって脹脛を見て驚いた。
蚊に刺されたあと、それも連続している。
なんてことだ、涼しかったが、蚊にはとてもいい餌になったようであった。

スパッツ、いやレギンス、侮る無かれ。
涼しくとも油断はするべからず、恐るべし。


精神修養の武道なんてない。

武道と呼ばれることをしてきて、一番良かったことは
特にないように思います。

武道をやれば、腹が据わって 
・人前でも話せるようになる
・人を許せるようになる
・動揺しない
・好戦的じゃなくなる
なんてことを思っていたように記憶しているけど
まったくそんなことはない。


・・・少なくとも今は ない。


でも最近、ちょっと実感したのは 少しは人を許せるようになったかと
おもったことがあった。
今までよりも カッとしても 少しだけえ冷めているように思う時がある。
これは ただ年齢が高くなっただけ ではないかと思うときもあるが。


言えることは、武道は武道。
強くなるためだけに目標を置き、その他の精神修行なんて関係ない。
精神を武道に求めるのではなく、武道には強さだけを求めたほうがシンプル。

前に聴いた話。
「武道をやっているのに精神修養で、坐禅を組みにいくだと?
お前のやっている武道では精神修養は出来ないのか!」と。

2010年7月25日日曜日

幕末戊辰戦争そぞろ歩き〜薩摩藩の足跡〜

昨日、大事な人のご子息と散歩してきた。
そう親子ほど年の違う人との幕末散歩。
予定は上野から南千住の円通寺〜上野寛永寺にあった黒門を観に行く予定。
薩摩藩の受け持った上野黒門、村田蔵六の冷徹な計算によると薩摩藩しか黒門を攻めることが出来なかったという。
西郷隆盛をして「薩摩藩を潰すおつもりか」と言わしめた過酷な戦い、それを確認しに行こうという旅散歩。

13:00に上野駅で待ち合わせ。
意外に早く着きすぎたので、改札を出ずに構内の”エキナカ”を冷やかしながら時間つぶし・・。
この暑い日に結構な人出がある、人は気温で行動を決めているんじゃないんだな。

13:00前に相手と会って上野公園へ出発。
先に薩摩藩の巨星、西郷隆盛と対面。
久しぶりに拝見したけど、間近で見るとやはりディテールがすごい。
子息との記念写真も撮影して、次は薩摩藩の敵だった彰義隊のお墓に。


彰義隊を観たあとは、弁天島か池之端へ向かいそぞろ歩き。
このあたりから実は身体が重くなりかけてきて、これが熱中症かと思いつつ心配も掛けたくないので、昼食をとろうということにして上野藪そばに入る。
最初に頼んだビールの旨いこと、突き出しに出てきた味噌をつまみに・・・最高。 そばもうまくて二人とも満足してお店をあとにした。

アメ横をひやかしながら、南千住に移動した。
南千住ではまず熱中症対策にペットボトルを買って子息にも渡して、歩きながら円通寺。
ここには彰義隊士の遺体を埋葬した縁で、上野黒門を移築したらしい。
当時にあって、遺体に敵も味方もないと言って埋葬した円通寺の住職の胆力には感服しますな。
しかもこの円通寺、歴史は古く八幡太郎義家の頃の創建とか。
これが黒門、近づくとわかるけど上野戦争の凄さを物語るがごとく銃弾のあとが・・・もうびっしり。

楽しかったな。

一息ついたあとに帰ろうとおもって振り向いたら、なんとスカイタワーが・・・

こんなところからスカイタワーが見えるなんて思っていなかったから、ちょっと感激した。

そのあとまたアメ横に戻りちょっと買い物したあと銀座に向かう。
仲間と合流するためだけど、二人の旅はここまで。
その後四人が合流して、子息の就職祝いへ目的を変更して六人で宴会。

うなぎを食べたいという子息に、30代、40代、50代(オレ)の五人と銀座竹葉亭でうなぎ。
まず白焼きからはじめ、高いなぁと言いつつ舌鼓を打ちつつ堪能していった。
締めは、それぞれ。
うな丼A、うな丼B、そして鯛茶、マグ茶。

精算したらもう長い行列、土用の日が近いからかな。
酒のんで長っ尻ですみませんでした。

その後銀座、座ワタミに行った。
大型の男たち六人、最初はクーラーが効いていないところで飲んで、その後狭い場所に押し込められ、でもちゃんと最後は広い場所に案内してくれてよかった。
朝五時までやっていると聴いて、二人帰ったけど四人で朝まで。
で今日朝帰りしたというワケ。
一応記録に残しておこう・・・

楽しかったなぁ。

2010年7月21日水曜日

幕末検定の結果

この検定は面白かった。
他にも色々あるので、これからもやってみたいと思うけど、なんと言っても全問正解というのがきもちいい。

時間つぶしに、知識試しをしてみてはいかがでしょう?


2010年7月20日火曜日

流儀について

十数年、古武道剣術を稽古している。

教えていただける場所は、私が居住している場所から、飛行機で行かないとならないほど遠い場所にあった。
それでも稽古し始めは、あこがれの流派だっただけに、楽しく嬉しかった。

当時は今のように航空費も安くなく、早割などの割引がわずかに用意されているだけだった。
そんな訳で、稽古に伺えるのは年に一度。
それも自分の小遣いを貯めて行くので、女房には文句は言われなかったが、友人知人たちとの夜のお付き合いを断
りながらの予算捻出だった。

それでも続いてきたのは、遠く離れていて思うように上達しなかったからだと思う。
私の性格からいくと、比較的ラクに通えたりすると意外に早く飽きてしまったに違いない。
もちろん流派を習えること自体が、嬉しくそして教え自体ものすごく深いものなので、知れば知るほどに探求心が出
てくるので、遠くなくても飽きなかったかもしれない。

こういったことは結果オーライなので、ともかく良かったということにしておこう。

2010年7月17日土曜日

切腹

この映画は二十年くらい前、偶然にレンタルビデオで見つけて感動しました。
そして原作の滝口康彦さんという人を初めて知ったのもこの映画。

それから滝口さんの小説を探し、読みまくりましたが、
残念ながらすでに物故されていました。


残念、作家でこれほど残念な事は、本当になかった。

その後、隆慶一郎さんにも傾倒しましたが、
隆さんも亡くなられたあとに知った事になります。
好きな作家でリアルタイムなのは 津本陽さん暗いでしょうか。

津本さんとは勝手に縁が深く、津本さんの小説で古武道をやる決心をして
通い始めた頃、職場のある銀座でばったり津本さんにお目にかかり
思わず話しかけてしまった事。

のちに、なんと二三度もそれぞれの場所で
お目にかかった機会もあり、こういった出会いもあるんだと思う次第。

何にせよ、この切腹は武士の意地を描きながら、その哀しさを
うまく表現できている映画だと思います。
仲代達矢はいい・・・。


2010年7月16日金曜日

YOU TUBE 情報 JRA Cinema Keiba on

これってすごいとおもうなぁ、前にジャンプ競技のパロディでもあったけど作者は一緒かな。
ともかくどのくらい時間が掛かっているんだろう??
素晴らしい。
JRA Cinema Keiba on Web JAPAN WORLD CUP: "