2010年8月21日土曜日

見取り稽古ということ

武道の稽古は、人に教えてもらって上達するものではない。

その武術の内容によるし、そこに集まってくる人数にもよるという前提だが。
ここが一番スポーツと武術の差のような気がしてならない。
スポーツはプレーヤーの特性(個性)に合わせてトレーニングしていくが
武術は絶対的な術があり、それに身体を合わせていくのが稽古。

その上で、身体が動かない、硬いなどの個人差が出てくるのは当然。
でも出来ない、動かないで諦めていると続けることさえ怪しくなってくる。
しかし、動かないけど近づけようとする努力、身体は硬いけど柔らかくなるはずと
信じて稽古することが、数年後の大きな差と帰ってくる。

それは間違いのないことなのだが、大体の人は諦め、そして形が変わっていく。
形が変わっていくのを注意されると、オレの身体では出来ない・・と言い訳。
しかし、稽古している先達の人たちをよく見て欲しい。
その中には自分と同じような体つきの人や身体の硬い人などもいるに違いない。
その人を見ているとヒントになり、身体の動かし方を知ることになる。

それが、見取り稽古である。

身体の使い方も知ることができるし、型稽古の流れも知ることができる。
・・・できるのだ。
しかし、そのことが出来ないことが多いように感じる。
どうしても武道は身体動かして、木刀を振ることばかりが稽古ではないのだが
ついついそちらの派手な方ばかりしたがるもわかるが、
見取り稽古という稽古があることも知っていて欲しい。


そしてついでに言うと
武道は、丁寧に教えられるものではないことを 書いておく。

最近BLOGで見つけた文言の中に
初心者には「丁寧」に教えますので、安心してきてください、とあったので。
丁寧に教わることは最初だけにして欲しい、と思う。
あえて蛇足になるが。

2010年8月19日木曜日

闇稽古ということ(その1)

昨年、一晩中稽古をし続けるということを計画し実行した。

本題に入る前に、いつも週末になると稽古している場所についての説明を。
関東でも有数の河川の河川敷に拡がっている公園。
そして雑木林を境界として、その隣には水田がある場所。

その雑木林と畑の境界でいつも稽古をしている。
冬は手もかじかむくらいの寒さになるが、稽古をしていると身体は温まるので楽だが、夏ばかりは特に大変な場所だ。

熱中症にもなりそうになるし、蚊に刺されながらだし。
その上雑草が伸びるので、ある時はまず雑草を刈ってからの稽古となるが
草刈り自体で十分に汗を出し切っちゃうので、すでに脱水状態になってしまう。
というのが、いつもの稽古場所だ。


そんな場所での 闇稽古を数年前からやりたかった。
で、実現できたのが昨年秋。

22:00過ぎに稽古場所に到着。
田んぼの畦道を通り稽古場に行くのだが、もう何百回とクルマで来ているので、
もう目をつぶっても行ける状態(もちろん実際にそんなことしたら落ちる、確実に畦から落ちてしまう)。


徹夜稽古を始めるにあたり、こんなことを取り決めた。

・座るな、座ったら負け。
・クルマに戻るな、戻ったら負け。
・時計を見るな、見たら負け。
ひとつでも負けた場合は、即刻帰宅することとした。

そして稽古して思ったこと、感じたことをメモするために
ボールペンと反古紙も用意して臨んだ。

もう蚊も飛んでいない秋だったので、そのことは楽だった。

・・・続く

2010年8月17日火曜日

古武道稽古で怪我する事は、あってはならない

右手首を傷めたらしい。

以前、もう三月ばかり前に酔って転倒して、その時に右手首を折ってしまった。
しばらく安静にしてなきゃならないにも関わらず、直ぐに稽古を始めた。
そのせいでか、ひと月経っても痛みが続いていた。

そこが痛むのだ。

手首、小指側(尺骨)にポコッと出ている骨の脇が膨らんでいる。
振り切った時に手首を小指側に曲げる振り方が原因だ。
しかし、腫れているのか手首のところの痛みは良くなる気配がない。
むしろシャ骨に痛みがある部分をみつけた。

だから筋肉痛なんてものでなく、異常は骨ということになる。

武道で身体を痛めるなんてことがあっていいのか。
私の稽古が変だから怪我をする。
これは、即刻 稽古の仕方を変えなくてはならない。

2010年8月15日日曜日

今日の夕焼け番長

昔のアニメで、夕焼け番長というのがあった。
喧嘩に明け暮れる少年のお母さんが亡くなるんだけど、
その時に夕焼けが綺麗だった、

それでその後も喧嘩をするんだけど、
喧嘩の最中でも、夕焼けを見ると涙がでてしまうというストーリー。

特にそれが関係あるわけではないのだが
週末に個人稽古にいく場所は、正しく天幕の場所。
帰るときに夕焼けがきれいだったりする。

その夕焼けの紹介