2010年8月7日土曜日

踵で歩くということ

二十代後半から武道を稽古して来た。


相変わらずヘタクソだ、思うように身体が動かない。
年とってから始めるという事は、こういう事なんだな。

でもあの歳まで待ったから、出会えたんだと思うし
自分のやる気次第で歳取っても出来るし、死ぬまで出来るものと
出会ったことを幸せだと思う。


その稽古の中で、気づいた事がある。
それはつま先で後ろに蹴るのでなく、踵で蹴る歩き方が身体の上下変化が少ない。
さらに動きに予備動作がなく動けるので、瞬時に身体の位置を変えられる。
その事に気づいてから、昔の人たちの歩き方、すり足という意味がわかった。
完全に縦横移動が出来るのだ。

しかもこの歩き方は腰への負担がとても少ない気がする。
できれば、この歩き方を表現したいが、ボクの作文能力だと今はうまく伝える自信がない。
どうすればいいだろう・・・。


表現は近いうちに挑戦するとして、踵で動くと予備動作なく動くので
色が出にくく、相手を虚に陥れる事で少なくとも相手より早く動けるし
攻撃されてもすぐに対応が可能になる。

まぁ攻撃されないのが本当の「武」なんだろうけど。

さらに踵で歩くと疲れないように感じる。
前傾姿勢で足を出す歩き方、しかも蹴るのでないので無駄に筋力を使わない。
幕末の剣豪、山岡鉄舟が成田山を陽の明るいうちに往復したという逸話があるが
(成田山までは日本橋から60kmくらい、だから120kmを12時間程度かな)
一時間10kmかぁ、この歩きかただと可能かもしれない。

またこの件について書きたいと思う。

2010年8月3日火曜日

古武道を始めた理由

二十数年前に、連続幼児失踪殺人という猟奇的な時間があった。

宮崎勤事件。
幼児を誘拐して殺害するという事件。(書くのもおぞましい、悲惨な事件でした)


その頃、誕生したのが長子になる娘。
初めての子供だったけど、被害者と被害者の親の気持ちに入れ込んだ。
もし、うちの子にこんな事があったら、必ず自分の手で復讐してやる、と思った。
子供の手を握り、手首を触ってほんの力を入れただけで折れてしまうような、こんな子供を殺すなんて・・・ものす
ごく憤っていた。

子供にとっては、親が法律だと思う。
子供は親の善悪の判断に基づき、自分の考え方などをまとめていき育つ。
であれば、子供を護るのは親の絶対義務ではないか!という思いと、まだ善し悪しの判断も定かでない子供を被
害者にするのは卑怯だと思っていた。

ここで考えの飛躍があったのだが・・・
・結婚して少しどころか 12kg も太っていたこと。
・鉄砲で敵討ちは卑怯、親が自らを鍛えることで復讐とすること。
・やり損じがない事を選ぶこと。
などと考えていたら、ある古武道に行き当たった。
それから始めたということにしているけど、ほとんど当時から理由自体をあまり意識はしていなかったなぁ。
選んだ古武道の稽古が、できること自体が楽しくて、嬉しくて・・・。


おかげさまで、うちの子はすくすく育ち、今や成人にもなった。
今となっては復讐だとか敵討ちだとか自体より、自分稽古になっているけど。
大きなきっかけは、少なくともこの事件だった。

・・・被害者の方々のご冥福をお祈りします。

合掌



2010年8月1日日曜日

スパッツ(レギンス)の効用

私がしている古武道は、宗家のお住まいの場所でしか出来ません。

そしてこちらでの武道稽古は、基本的に自主稽古。
つまり一人稽古が主なものになります。
10年ほど前から、月に二度仲間が集まって稽古を公的な場所を借りてしているが遠く横浜、鎌倉、千葉からみんな電車賃を使って集まってくる。
この公的稽古の話は、日を改めて書く事にします。

あとは毎週一人で河川敷でしている稽古の二種類の稽古を続けている。
一人稽古の場所は、河川敷といってもどん詰まりの場所で雑木林が近く、雑草が生い茂る場所。
ちょっとすると草刈から始めないといけないような場所。
だから昆虫やウシガエルの鳴き声まで聞こえるような場所でもある。
つまり自然と渾然一体となりながら、稽古をしているわけだ。

さてタイトルのスパッツの件。
いままでマラソンとかで着けている人を見かけたが、格好つけか防寒かとしか思っていなかったものだが、何か格好がいい感じなのでずっと欲しかった。
昨日近くのディスカウントストアで、980円で売っていたのですぐに買った。

で早速着けて稽古に行ってみた。
すると汗をかけばかくほど、放射熱の働きで涼しいのだ。
一応、うえに短バンを履いていたが素足よりも涼しいと思った。
こんな効用があったとは知らなかった・・・格好つけではなくちゃんと理由があったんだ。
体験してみないで、先入観で判断するのは本当に危険だ。

しかし、前述した自然と調和しながらの稽古場は、蚊も当然多い。
スパッツを着けているから、刺されないかなと思っていたら

とんでもなかった・・・


な、なんと風呂から上がって脹脛を見て驚いた。
蚊に刺されたあと、それも連続している。
なんてことだ、涼しかったが、蚊にはとてもいい餌になったようであった。

スパッツ、いやレギンス、侮る無かれ。
涼しくとも油断はするべからず、恐るべし。


精神修養の武道なんてない。

武道と呼ばれることをしてきて、一番良かったことは
特にないように思います。

武道をやれば、腹が据わって 
・人前でも話せるようになる
・人を許せるようになる
・動揺しない
・好戦的じゃなくなる
なんてことを思っていたように記憶しているけど
まったくそんなことはない。


・・・少なくとも今は ない。


でも最近、ちょっと実感したのは 少しは人を許せるようになったかと
おもったことがあった。
今までよりも カッとしても 少しだけえ冷めているように思う時がある。
これは ただ年齢が高くなっただけ ではないかと思うときもあるが。


言えることは、武道は武道。
強くなるためだけに目標を置き、その他の精神修行なんて関係ない。
精神を武道に求めるのではなく、武道には強さだけを求めたほうがシンプル。

前に聴いた話。
「武道をやっているのに精神修養で、坐禅を組みにいくだと?
お前のやっている武道では精神修養は出来ないのか!」と。