2010年10月30日土曜日

あこどませが

2010年10月9日土曜日


闇稽古ということ(最終回)


・・・・ともかくやり通した。

心の弱さも実感したし、達成感で身体が包まれていた。
最後の振りを終え、四方に神式の礼をして
そばにある石に腰掛けた。

膝を曲げたときの痛みを忘れない。
それでも達成感の方が勝っていた。
しばらくして立ち上がろうとしたとき、自分の考えが甘かったことを反省した。

立ち上がろうとしたとき、膝に激痛がはしり思わずその場に座りそうになった。
長い時間、たぶん6~7時間立ちっぱなし動きっぱなしで、
膝に負担がかかっていたのだろう。
そこまでの想像力はなかったし意識もなかった。
でも身体は、この徹夜稽古がどのような負担を強いていたか刻んでいた。


アクセル、ブレーキのペダルを踏み換えることさえつらかった。
帰宅してシャワーを浴びて、ゆっくりしようと思ったら睡魔が襲ってきた。
相当、身体への負担があったにも関わらず、このように稽古が出来たのは
気持ちが勝っていた結果だったのかもしれない。

この稽古が今後の自分にとって、なにかを残してくれることを期待している。
そしてこの稽古は、今年もまた実行してみるつもりだ。

昨年のと、今年のそれの変化を確認するために。
今年は10月の三連休あたりかな。

・・追記
10月の三連休はちと無理みたい。
年取りたくないなぁ・・・
いつでもというのが格好イイと思うんだけど、
稽古は準備が必要な年になってきている。




2010年9月6日月曜日

闇稽古ということ(その4)

前回、空が明るくなり稽古も終わりになりかけた、と書いた。

これが、長い自分自身の心の弱さを自覚することになるとは
その時はまったく気づきもしなかった。

続けても続けても、空は一向に明るくならなかった。
明るく感じたのは、単に雲が流れて薄くなっただけだったようだ。

何時なんだ?
あとどのくらいで夜は明けるんだ。

このことで頭は一杯になった。
一度終わりを設定してしまうと、気持ちがそちらを意識してしまい
ゴールのことしか考えられなくなっていた。


そのうちに気持ちに大きな変化を感じることが出来た。
暗いことも、不気味な音も、空が明るくならないことも気にならないのだ。
まわりの状況はまったく以前とは変わっていなかった。
なのに、この変化は?

後付の事だが、これは意識が集中の度合いを高めた結果
いまの目的に対して、ほかの意識を遮断したということかもしれない。
よく人は危機に瀕すると、脳回路が必要以外の情報を遮断して、
脳の経験値をすべて利用して、命を守ろうとするということだ。
大げさだと思うが、それに近い感じではなかったかと。

もう音も怖くない。
夜もいつまでも夜な訳はないから、時間が経てば明るくなる。
ともかく今は稽古だ、という意識。

それから何時間だったのだろう?
急に空が明るいぞ、と感じた途端、足下の雑草、廻りの木々の緑が
眼に感じ始めると、空は急に青っぽさを取り戻した。

その時、太陽の神を感じた昔の人の気持ちが分かった。
すべてに色がつくのだ。
太陽が、光がすべてのものに色をつけ、賑やかになる。
その時、人間もその色によって気持ちが元気になる。
活動的になるのだ、神と言わずしてなんであろうか。

・・・・ともかくやり通した。