2010年9月6日月曜日

闇稽古ということ(その4)

前回、空が明るくなり稽古も終わりになりかけた、と書いた。

これが、長い自分自身の心の弱さを自覚することになるとは
その時はまったく気づきもしなかった。

続けても続けても、空は一向に明るくならなかった。
明るく感じたのは、単に雲が流れて薄くなっただけだったようだ。

何時なんだ?
あとどのくらいで夜は明けるんだ。

このことで頭は一杯になった。
一度終わりを設定してしまうと、気持ちがそちらを意識してしまい
ゴールのことしか考えられなくなっていた。


そのうちに気持ちに大きな変化を感じることが出来た。
暗いことも、不気味な音も、空が明るくならないことも気にならないのだ。
まわりの状況はまったく以前とは変わっていなかった。
なのに、この変化は?

後付の事だが、これは意識が集中の度合いを高めた結果
いまの目的に対して、ほかの意識を遮断したということかもしれない。
よく人は危機に瀕すると、脳回路が必要以外の情報を遮断して、
脳の経験値をすべて利用して、命を守ろうとするということだ。
大げさだと思うが、それに近い感じではなかったかと。

もう音も怖くない。
夜もいつまでも夜な訳はないから、時間が経てば明るくなる。
ともかく今は稽古だ、という意識。

それから何時間だったのだろう?
急に空が明るいぞ、と感じた途端、足下の雑草、廻りの木々の緑が
眼に感じ始めると、空は急に青っぽさを取り戻した。

その時、太陽の神を感じた昔の人の気持ちが分かった。
すべてに色がつくのだ。
太陽が、光がすべてのものに色をつけ、賑やかになる。
その時、人間もその色によって気持ちが元気になる。
活動的になるのだ、神と言わずしてなんであろうか。

・・・・ともかくやり通した。

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