2010年8月13日金曜日

身体の使い方

甲野善紀氏の話ではないが、
踵で歩くと、そのスピードも早くなるように感じている。

歩くという行為は、健常者なら毎日の行為。
その中で、歩くことに負担の掛からない歩きかたは重要だと思う。
逆に膝を使って歩くと、ゆっくりした歩き方ができないように感じている。

この歩き方を今度時間のある時に図解したいと思っている。
これは腰痛をお持ちの方には、負担が少ない歩き方なのだ。
しかしこの歩き方は誰もができるということではない。

だから世間一般のように広まることはないと思うが
少なくとも私には腰痛はない。
もちろん稽古しているということもあると言われそうだけど
そんなこととは関係なく、歩き方について語ってみたい。

これも武道をしているからの発見でした。

2010年8月12日木曜日

稽古するということ

ほとんど毎日(毎晩)稽古をしている。

それは稽古をしている自分が安心するから。
稽古をしない日があると、翌日はものすごく負けた気分になる。
これが自分をコントロールできなかったことへの嫌な気分なんだと思う。

克己(心)

武道でよく言われている言葉だし、日本手ぬぐいなんかにもよく書かれる。
ここらあたりが「心」を鍛えることのできる武道ということになるのかも知れない。

一日休むと三日後退する・・・。
そんなことも言われる。

毎日稽古したって強くなるとは限らないじゃないかとも思う。
でも稽古しないともっと弱くなるかもしれないのだから、稽古するしかない。
つまり稽古をすると言うこと自体、心技体 を鍛えていることになる。

たとえ、毎晩の稽古が素振りだとしても、ただ回数をこなしているだけだとしてもだ。

2010年8月11日水曜日

航空券の安さと武道の経験は反比例する

片道に数万円、往復でいくとそれなりの予算が必要だった。

二十数年まえから、地方都市に古武道の稽古に行っている。
当時は片道三万、往復で六万・・・宿泊など入れると十万の予算。
年に一度しか通えないから、毎月の小遣いをちょっとずつ貯めていって
一気に使う、この事が快感になり始めてはいた。

でも通っているうちに、当然向こうの人たちとも仲良くなってくると
夜の付き合いも出てくる・・・すると、お金も予算を超え始める。

それでも一日たりとも観光する事なく、毎日朝から晩まで、
そして終われば皆とアルコール摂取に出かける毎日。
お金が持たない・・とても行きづらくなって来た頃、なんだか航空券が
安くなり始めた。

片道半額、いやそれ以下の時も。
そのときは実感はなかったけど、年に一度が二度になった・・・。
すると家庭を空ける時間が多くなって、さらに子供も小さかったから
妻のストレスも結構大きくなって来た。

で、対策として考えたのが、家事をするということ。
布団上げ、掃除それもベランダから玄関、お風呂も・・・。
少しは女房のご機嫌も良くなり、また地方都市の稽古場に通えるようになった。

まぁ今でこそ航空券が安くなっているけど、安くなれなければ
こんなにも通う事が出来なかった。

ということは、オレの武道は航空券まかせって事なんだ。
ありがとう、日航、JAL。
早く再生して、安心させてくださいね。

2010年8月9日月曜日

自分の掌が持たない

素振りしていたりしている分には問題ない。

しかしあるときから手のひらはもちろん、指の関節が痛い。
これは自分の振りのスピードに対して、握力が対応していないように感じる。
握るときの小指第二関節などが痛む、軋む・・・。
振りのスピードが早いのは上達したのかと得心もするが、
そのことににぎり自体が付いて行っていない。

結局、バランスが悪いということか・・・


バランスよくそして身体の一部分に余計な力がかからないこと。
これがいわゆる古武道の本当だと思う。
生活の中の一部分な武道であるからこそ、身体を傷めずして続く。

つまりここがスポーツとは違うところだと思う。
スポーツは身体に負荷をかけても、その特徴や勝負に勝つことを目的とするが
武道・・いわゆるサムライのそれは、日常の中に入り込んでいたはず。
極端な言い方だけど、ご飯と同じくらいの存在感だったと思う。


ともかく、この手の中の痛み、関節の痛みはツライな。
それなりに大切に回復させないといけない。
武道は一過性なことではなく、死ぬまで続けていきたいことだから。
生きているのに、途中で続けられなくなることこそ最重要案件
注意事項である。

2010年8月8日日曜日

脚幅は、肩幅ということ

小学校の頃、父の強い勧めで柔道をやらされていた。

小さい頃は身体が小さくて、どうしても力勝負になる小学生の柔道で
勝てないから面白くなく、あまり熱心ではなかった。
というよりやりたくなかったのだから、勝てるはずもなく
悪循環の繰り返しだった。

それでも、自然体として一番最初に習うことが 
脚は肩幅に開く、というものは覚えていた。

こらえ性のない私は高校時代、空手部にいた。
単純にブルース・リーが流行っていたという理由によるものだが
ここでも最初は 肩幅の脚幅がキーになっていた。

そして今の古武術にいたり、ここでも最初に立つときの
脚幅は 肩幅 と言われた。
教えられたことは、まずはそのままに動くこと。
これは絶対的なことだ。


二十年続けてきた今になって、この脚幅は肩幅、という重要性が分かってきた。
これ以上広くても狭くても動きが遅くなるのだ。
肩幅より狭ければ安定性に欠けるし、広ければ一度片方の脚に重心を移さないと
動けないということが分かった。

当然だろう、とすでに理解している方は多いのかも知れないが
実感として理解できるまで、私は自分の身体にすり込む時間が
人よりもかかってしまうのかも知れない。

単純なことの重要性、いま一度ちゃんと振り返ってみたい。
きっと最初に言われたことに一番需要なことがある、のかもしれない。