前回、空が明るくなり稽古も終わりになりかけた、と書いた。
これが、長い自分自身の心の弱さを自覚することになるとは
その時はまったく気づきもしなかった。
続けても続けても、空は一向に明るくならなかった。
明るく感じたのは、単に雲が流れて薄くなっただけだったようだ。
何時なんだ?
あとどのくらいで夜は明けるんだ。
このことで頭は一杯になった。
一度終わりを設定してしまうと、気持ちがそちらを意識してしまい
ゴールのことしか考えられなくなっていた。
そのうちに気持ちに大きな変化を感じることが出来た。
暗いことも、不気味な音も、空が明るくならないことも気にならないのだ。
まわりの状況はまったく以前とは変わっていなかった。
なのに、この変化は?
後付の事だが、これは意識が集中の度合いを高めた結果
いまの目的に対して、ほかの意識を遮断したということかもしれない。
よく人は危機に瀕すると、脳回路が必要以外の情報を遮断して、
脳の経験値をすべて利用して、命を守ろうとするということだ。
大げさだと思うが、それに近い感じではなかったかと。
もう音も怖くない。
夜もいつまでも夜な訳はないから、時間が経てば明るくなる。
ともかく今は稽古だ、という意識。
それから何時間だったのだろう?
急に空が明るいぞ、と感じた途端、足下の雑草、廻りの木々の緑が
眼に感じ始めると、空は急に青っぽさを取り戻した。
その時、太陽の神を感じた昔の人の気持ちが分かった。
すべてに色がつくのだ。
太陽が、光がすべてのものに色をつけ、賑やかになる。
その時、人間もその色によって気持ちが元気になる。
活動的になるのだ、神と言わずしてなんであろうか。
・・・・ともかくやり通した。