いままでご紹介してきたように、私の稽古場所は自然の中にある。
まったく雑木林の隣、雑草が生い茂り虫や動物が生息している場所。
とはいえ天然自然ではなく、河川敷なのでどちらかというと人工的な場所。
隣には水田が拡がっているので、見晴らしはとてもいい。
その分稽古していると丸見えになるわけだが。
それでも夏は背の高い雑草が伸びて目隠しになるので
人目はあまり気になることはない。
ただ近くの公園を散策している人たちが、ときどき雑木林からの
抜け道として稽古しているところに出てくるので、お互い気まずい思い。
相手は引き返すことも多いが、そのままこちらに向かってくる人もいる。
だいたい年上のひとか、ちと変わった風に見えるひと。
こちらも迷惑だろうと、稽古を止める。
向こうが緊張して私の脇をすり抜けて行くのがわかるので
なるべく明後日の方を見ているようにしている。
まぁ、そんな場所。
もう一つ、夏には問題がある。
週末しか行けないので、一週間経つと雑草が伸び放題なことである。
夏の暑い盛りに、稽古前に草刈りで汗が出きってしまいそうになる。
いや、ほとんど脱水症状になることもあった。
頭が痛くなってきて、ぼんやりとしてくる。
それでも武道をやっているような人間は、どちらかというと
自虐的な感じなので、そのフラフラ感が稽古をしているように実感する。
だからそのまま稽古に入るが、いつ倒れてもおかしくないような状況なんだと思う。
あまり無理しないようにしたいものだ。
とはいえ、夏の草刈りからは解放されそうもないしなぁ。
2010年9月1日水曜日
2010年8月27日金曜日
闇稽古ということ(その2)
闇稽古ということ(その1) からのつづき
当日は雲が空全体に拡がり、月が見えなかった。
すでに暗いと感じていたが、稽古を始めていくうちに、
空がさらに濃さを増していった。
闇というのが変化することを実感した。
稽古してまもなく比較的涼しい日だったにも関わらず、
背中に冷や汗みたいなものが流れるのを感じる。
稽古を続けていったがしばらくして、この冷や汗は恐怖感が原因だと思った。
闇に向かって、移動しながら素振りを繰り返していく。
どこからか聞こえる「音」に身体が反応しているのだ。
冒頭に説明したように、この場所は河川敷にある雑木林。
雑草が生い茂っているような場所。
今まで陽のある時にも、みたことある動物はネコ、野犬(3匹ほど)、タヌキ。
昆虫の類は、バッタやスズメバチ、トンボ、カエルなどなど、カナヘビも見た。
そんな場所にいる生き物の声がするのだが
びびっているのは、虫の声・・・そして自分が踏みしめた雑草が復帰する音。
風に擦れあう樹木の葉、笹、雑草。
ありとあらゆる 音 に恐怖心を向けている自分がいた。
本当に何が出てくるのか、人間の想像力の逞しさを思った。
以前、読んだ本に
怖いのは人間の想像力だ、という文章があったように記憶しているが、実感した。
・・・続く。
当日は雲が空全体に拡がり、月が見えなかった。
すでに暗いと感じていたが、稽古を始めていくうちに、
空がさらに濃さを増していった。
闇というのが変化することを実感した。
稽古してまもなく比較的涼しい日だったにも関わらず、
背中に冷や汗みたいなものが流れるのを感じる。
稽古を続けていったがしばらくして、この冷や汗は恐怖感が原因だと思った。
闇に向かって、移動しながら素振りを繰り返していく。
どこからか聞こえる「音」に身体が反応しているのだ。
冒頭に説明したように、この場所は河川敷にある雑木林。
雑草が生い茂っているような場所。
今まで陽のある時にも、みたことある動物はネコ、野犬(3匹ほど)、タヌキ。
昆虫の類は、バッタやスズメバチ、トンボ、カエルなどなど、カナヘビも見た。
そんな場所にいる生き物の声がするのだが
びびっているのは、虫の声・・・そして自分が踏みしめた雑草が復帰する音。
風に擦れあう樹木の葉、笹、雑草。
ありとあらゆる 音 に恐怖心を向けている自分がいた。
本当に何が出てくるのか、人間の想像力の逞しさを思った。
以前、読んだ本に
怖いのは人間の想像力だ、という文章があったように記憶しているが、実感した。
・・・続く。
2010年8月21日土曜日
見取り稽古ということ
武道の稽古は、人に教えてもらって上達するものではない。
その武術の内容によるし、そこに集まってくる人数にもよるという前提だが。
ここが一番スポーツと武術の差のような気がしてならない。
スポーツはプレーヤーの特性(個性)に合わせてトレーニングしていくが
武術は絶対的な術があり、それに身体を合わせていくのが稽古。
その上で、身体が動かない、硬いなどの個人差が出てくるのは当然。
でも出来ない、動かないで諦めていると続けることさえ怪しくなってくる。
しかし、動かないけど近づけようとする努力、身体は硬いけど柔らかくなるはずと
信じて稽古することが、数年後の大きな差と帰ってくる。
それは間違いのないことなのだが、大体の人は諦め、そして形が変わっていく。
形が変わっていくのを注意されると、オレの身体では出来ない・・と言い訳。
しかし、稽古している先達の人たちをよく見て欲しい。
その中には自分と同じような体つきの人や身体の硬い人などもいるに違いない。
その人を見ているとヒントになり、身体の動かし方を知ることになる。
それが、見取り稽古である。
身体の使い方も知ることができるし、型稽古の流れも知ることができる。
・・・できるのだ。
しかし、そのことが出来ないことが多いように感じる。
どうしても武道は身体動かして、木刀を振ることばかりが稽古ではないのだが
ついついそちらの派手な方ばかりしたがるもわかるが、
見取り稽古という稽古があることも知っていて欲しい。
そしてついでに言うと
武道は、丁寧に教えられるものではないことを 書いておく。
最近BLOGで見つけた文言の中に
初心者には「丁寧」に教えますので、安心してきてください、とあったので。
丁寧に教わることは最初だけにして欲しい、と思う。
あえて蛇足になるが。
その武術の内容によるし、そこに集まってくる人数にもよるという前提だが。
ここが一番スポーツと武術の差のような気がしてならない。
スポーツはプレーヤーの特性(個性)に合わせてトレーニングしていくが
武術は絶対的な術があり、それに身体を合わせていくのが稽古。
その上で、身体が動かない、硬いなどの個人差が出てくるのは当然。
でも出来ない、動かないで諦めていると続けることさえ怪しくなってくる。
しかし、動かないけど近づけようとする努力、身体は硬いけど柔らかくなるはずと
信じて稽古することが、数年後の大きな差と帰ってくる。
それは間違いのないことなのだが、大体の人は諦め、そして形が変わっていく。
形が変わっていくのを注意されると、オレの身体では出来ない・・と言い訳。
しかし、稽古している先達の人たちをよく見て欲しい。
その中には自分と同じような体つきの人や身体の硬い人などもいるに違いない。
その人を見ているとヒントになり、身体の動かし方を知ることになる。
それが、見取り稽古である。
身体の使い方も知ることができるし、型稽古の流れも知ることができる。
・・・できるのだ。
しかし、そのことが出来ないことが多いように感じる。
どうしても武道は身体動かして、木刀を振ることばかりが稽古ではないのだが
ついついそちらの派手な方ばかりしたがるもわかるが、
見取り稽古という稽古があることも知っていて欲しい。
そしてついでに言うと
武道は、丁寧に教えられるものではないことを 書いておく。
最近BLOGで見つけた文言の中に
初心者には「丁寧」に教えますので、安心してきてください、とあったので。
丁寧に教わることは最初だけにして欲しい、と思う。
あえて蛇足になるが。
2010年8月17日火曜日
古武道稽古で怪我する事は、あってはならない
右手首を傷めたらしい。
以前、もう三月ばかり前に酔って転倒して、その時に右手首を折ってしまった。
しばらく安静にしてなきゃならないにも関わらず、直ぐに稽古を始めた。
そのせいでか、ひと月経っても痛みが続いていた。
そこが痛むのだ。
手首、小指側(尺骨)にポコッと出ている骨の脇が膨らんでいる。
振り切った時に手首を小指側に曲げる振り方が原因だ。
しかし、腫れているのか手首のところの痛みは良くなる気配がない。
むしろシャ骨に痛みがある部分をみつけた。
だから筋肉痛なんてものでなく、異常は骨ということになる。
武道で身体を痛めるなんてことがあっていいのか。
私の稽古が変だから怪我をする。
これは、即刻 稽古の仕方を変えなくてはならない。
以前、もう三月ばかり前に酔って転倒して、その時に右手首を折ってしまった。
しばらく安静にしてなきゃならないにも関わらず、直ぐに稽古を始めた。
そのせいでか、ひと月経っても痛みが続いていた。
そこが痛むのだ。
手首、小指側(尺骨)にポコッと出ている骨の脇が膨らんでいる。
振り切った時に手首を小指側に曲げる振り方が原因だ。
しかし、腫れているのか手首のところの痛みは良くなる気配がない。
むしろシャ骨に痛みがある部分をみつけた。
だから筋肉痛なんてものでなく、異常は骨ということになる。
武道で身体を痛めるなんてことがあっていいのか。
私の稽古が変だから怪我をする。
これは、即刻 稽古の仕方を変えなくてはならない。
2010年8月8日日曜日
脚幅は、肩幅ということ
小学校の頃、父の強い勧めで柔道をやらされていた。
小さい頃は身体が小さくて、どうしても力勝負になる小学生の柔道で
勝てないから面白くなく、あまり熱心ではなかった。
というよりやりたくなかったのだから、勝てるはずもなく
悪循環の繰り返しだった。
それでも、自然体として一番最初に習うことが
脚は肩幅に開く、というものは覚えていた。
こらえ性のない私は高校時代、空手部にいた。
単純にブルース・リーが流行っていたという理由によるものだが
ここでも最初は 肩幅の脚幅がキーになっていた。
そして今の古武術にいたり、ここでも最初に立つときの
脚幅は 肩幅 と言われた。
教えられたことは、まずはそのままに動くこと。
これは絶対的なことだ。
二十年続けてきた今になって、この脚幅は肩幅、という重要性が分かってきた。
これ以上広くても狭くても動きが遅くなるのだ。
肩幅より狭ければ安定性に欠けるし、広ければ一度片方の脚に重心を移さないと
動けないということが分かった。
当然だろう、とすでに理解している方は多いのかも知れないが
実感として理解できるまで、私は自分の身体にすり込む時間が
人よりもかかってしまうのかも知れない。
単純なことの重要性、いま一度ちゃんと振り返ってみたい。
きっと最初に言われたことに一番需要なことがある、のかもしれない。
小さい頃は身体が小さくて、どうしても力勝負になる小学生の柔道で
勝てないから面白くなく、あまり熱心ではなかった。
というよりやりたくなかったのだから、勝てるはずもなく
悪循環の繰り返しだった。
それでも、自然体として一番最初に習うことが
脚は肩幅に開く、というものは覚えていた。
こらえ性のない私は高校時代、空手部にいた。
単純にブルース・リーが流行っていたという理由によるものだが
ここでも最初は 肩幅の脚幅がキーになっていた。
そして今の古武術にいたり、ここでも最初に立つときの
脚幅は 肩幅 と言われた。
教えられたことは、まずはそのままに動くこと。
これは絶対的なことだ。
二十年続けてきた今になって、この脚幅は肩幅、という重要性が分かってきた。
これ以上広くても狭くても動きが遅くなるのだ。
肩幅より狭ければ安定性に欠けるし、広ければ一度片方の脚に重心を移さないと
動けないということが分かった。
当然だろう、とすでに理解している方は多いのかも知れないが
実感として理解できるまで、私は自分の身体にすり込む時間が
人よりもかかってしまうのかも知れない。
単純なことの重要性、いま一度ちゃんと振り返ってみたい。
きっと最初に言われたことに一番需要なことがある、のかもしれない。
2010年8月7日土曜日
踵で歩くということ
二十代後半から武道を稽古して来た。
相変わらずヘタクソだ、思うように身体が動かない。
年とってから始めるという事は、こういう事なんだな。
でもあの歳まで待ったから、出会えたんだと思うし
自分のやる気次第で歳取っても出来るし、死ぬまで出来るものと
出会ったことを幸せだと思う。
その稽古の中で、気づいた事がある。
それはつま先で後ろに蹴るのでなく、踵で蹴る歩き方が身体の上下変化が少ない。
さらに動きに予備動作がなく動けるので、瞬時に身体の位置を変えられる。
その事に気づいてから、昔の人たちの歩き方、すり足という意味がわかった。
完全に縦横移動が出来るのだ。
しかもこの歩き方は腰への負担がとても少ない気がする。
できれば、この歩き方を表現したいが、ボクの作文能力だと今はうまく伝える自信がない。
どうすればいいだろう・・・。
表現は近いうちに挑戦するとして、踵で動くと予備動作なく動くので
色が出にくく、相手を虚に陥れる事で少なくとも相手より早く動けるし
攻撃されてもすぐに対応が可能になる。
まぁ攻撃されないのが本当の「武」なんだろうけど。
さらに踵で歩くと疲れないように感じる。
前傾姿勢で足を出す歩き方、しかも蹴るのでないので無駄に筋力を使わない。
幕末の剣豪、山岡鉄舟が成田山を陽の明るいうちに往復したという逸話があるが
(成田山までは日本橋から60kmくらい、だから120kmを12時間程度かな)
一時間10kmかぁ、この歩きかただと可能かもしれない。
またこの件について書きたいと思う。
相変わらずヘタクソだ、思うように身体が動かない。
年とってから始めるという事は、こういう事なんだな。
でもあの歳まで待ったから、出会えたんだと思うし
自分のやる気次第で歳取っても出来るし、死ぬまで出来るものと
出会ったことを幸せだと思う。
その稽古の中で、気づいた事がある。
それはつま先で後ろに蹴るのでなく、踵で蹴る歩き方が身体の上下変化が少ない。
さらに動きに予備動作がなく動けるので、瞬時に身体の位置を変えられる。
その事に気づいてから、昔の人たちの歩き方、すり足という意味がわかった。
完全に縦横移動が出来るのだ。
しかもこの歩き方は腰への負担がとても少ない気がする。
できれば、この歩き方を表現したいが、ボクの作文能力だと今はうまく伝える自信がない。
どうすればいいだろう・・・。
表現は近いうちに挑戦するとして、踵で動くと予備動作なく動くので
色が出にくく、相手を虚に陥れる事で少なくとも相手より早く動けるし
攻撃されてもすぐに対応が可能になる。
まぁ攻撃されないのが本当の「武」なんだろうけど。
さらに踵で歩くと疲れないように感じる。
前傾姿勢で足を出す歩き方、しかも蹴るのでないので無駄に筋力を使わない。
幕末の剣豪、山岡鉄舟が成田山を陽の明るいうちに往復したという逸話があるが
(成田山までは日本橋から60kmくらい、だから120kmを12時間程度かな)
一時間10kmかぁ、この歩きかただと可能かもしれない。
またこの件について書きたいと思う。
2010年8月3日火曜日
古武道を始めた理由
二十数年前に、連続幼児失踪殺人という猟奇的な時間があった。
宮崎勤事件。
幼児を誘拐して殺害するという事件。(書くのもおぞましい、悲惨な事件でした)
その頃、誕生したのが長子になる娘。
初めての子供だったけど、被害者と被害者の親の気持ちに入れ込んだ。
もし、うちの子にこんな事があったら、必ず自分の手で復讐してやる、と思った。
子供の手を握り、手首を触ってほんの力を入れただけで折れてしまうような、こんな子供を殺すなんて・・・ものす
ごく憤っていた。
子供にとっては、親が法律だと思う。
子供は親の善悪の判断に基づき、自分の考え方などをまとめていき育つ。
であれば、子供を護るのは親の絶対義務ではないか!という思いと、まだ善し悪しの判断も定かでない子供を被
害者にするのは卑怯だと思っていた。
ここで考えの飛躍があったのだが・・・
・結婚して少しどころか 12kg も太っていたこと。
・鉄砲で敵討ちは卑怯、親が自らを鍛えることで復讐とすること。
・やり損じがない事を選ぶこと。
などと考えていたら、ある古武道に行き当たった。
それから始めたということにしているけど、ほとんど当時から理由自体をあまり意識はしていなかったなぁ。
選んだ古武道の稽古が、できること自体が楽しくて、嬉しくて・・・。
おかげさまで、うちの子はすくすく育ち、今や成人にもなった。
今となっては復讐だとか敵討ちだとか自体より、自分稽古になっているけど。
大きなきっかけは、少なくともこの事件だった。
・・・被害者の方々のご冥福をお祈りします。
宮崎勤事件。
幼児を誘拐して殺害するという事件。(書くのもおぞましい、悲惨な事件でした)
その頃、誕生したのが長子になる娘。
初めての子供だったけど、被害者と被害者の親の気持ちに入れ込んだ。
もし、うちの子にこんな事があったら、必ず自分の手で復讐してやる、と思った。
子供の手を握り、手首を触ってほんの力を入れただけで折れてしまうような、こんな子供を殺すなんて・・・ものす
ごく憤っていた。
子供にとっては、親が法律だと思う。
子供は親の善悪の判断に基づき、自分の考え方などをまとめていき育つ。
であれば、子供を護るのは親の絶対義務ではないか!という思いと、まだ善し悪しの判断も定かでない子供を被
害者にするのは卑怯だと思っていた。
ここで考えの飛躍があったのだが・・・
・結婚して少しどころか 12kg も太っていたこと。
・鉄砲で敵討ちは卑怯、親が自らを鍛えることで復讐とすること。
・やり損じがない事を選ぶこと。
などと考えていたら、ある古武道に行き当たった。
それから始めたということにしているけど、ほとんど当時から理由自体をあまり意識はしていなかったなぁ。
選んだ古武道の稽古が、できること自体が楽しくて、嬉しくて・・・。
おかげさまで、うちの子はすくすく育ち、今や成人にもなった。
今となっては復讐だとか敵討ちだとか自体より、自分稽古になっているけど。
大きなきっかけは、少なくともこの事件だった。
・・・被害者の方々のご冥福をお祈りします。
合掌
2010年7月25日日曜日
幕末戊辰戦争そぞろ歩き〜薩摩藩の足跡〜
昨日、大事な人のご子息と散歩してきた。
そう親子ほど年の違う人との幕末散歩。
予定は上野から南千住の円通寺〜上野寛永寺にあった黒門を観に行く予定。
薩摩藩の受け持った上野黒門、村田蔵六の冷徹な計算によると薩摩藩しか黒門を攻めることが出来なかったという。
西郷隆盛をして「薩摩藩を潰すおつもりか」と言わしめた過酷な戦い、それを確認しに行こうという旅散歩。
13:00に上野駅で待ち合わせ。
意外に早く着きすぎたので、改札を出ずに構内の”エキナカ”を冷やかしながら時間つぶし・・。
この暑い日に結構な人出がある、人は気温で行動を決めているんじゃないんだな。
13:00前に相手と会って上野公園へ出発。
先に薩摩藩の巨星、西郷隆盛と対面。
久しぶりに拝見したけど、間近で見るとやはりディテールがすごい。
子息との記念写真も撮影して、次は薩摩藩の敵だった彰義隊のお墓に。
そう親子ほど年の違う人との幕末散歩。
予定は上野から南千住の円通寺〜上野寛永寺にあった黒門を観に行く予定。
薩摩藩の受け持った上野黒門、村田蔵六の冷徹な計算によると薩摩藩しか黒門を攻めることが出来なかったという。
西郷隆盛をして「薩摩藩を潰すおつもりか」と言わしめた過酷な戦い、それを確認しに行こうという旅散歩。
13:00に上野駅で待ち合わせ。
意外に早く着きすぎたので、改札を出ずに構内の”エキナカ”を冷やかしながら時間つぶし・・。
この暑い日に結構な人出がある、人は気温で行動を決めているんじゃないんだな。
13:00前に相手と会って上野公園へ出発。
先に薩摩藩の巨星、西郷隆盛と対面。
久しぶりに拝見したけど、間近で見るとやはりディテールがすごい。
子息との記念写真も撮影して、次は薩摩藩の敵だった彰義隊のお墓に。
彰義隊を観たあとは、弁天島か池之端へ向かいそぞろ歩き。
このあたりから実は身体が重くなりかけてきて、これが熱中症かと思いつつ心配も掛けたくないので、昼食をとろうということにして上野藪そばに入る。
最初に頼んだビールの旨いこと、突き出しに出てきた味噌をつまみに・・・最高。 そばもうまくて二人とも満足してお店をあとにした。
アメ横をひやかしながら、南千住に移動した。
南千住ではまず熱中症対策にペットボトルを買って子息にも渡して、歩きながら円通寺。
ここには彰義隊士の遺体を埋葬した縁で、上野黒門を移築したらしい。
当時にあって、遺体に敵も味方もないと言って埋葬した円通寺の住職の胆力には感服しますな。
しかもこの円通寺、歴史は古く八幡太郎義家の頃の創建とか。
これが黒門、近づくとわかるけど上野戦争の凄さを物語るがごとく銃弾のあとが・・・もうびっしり。
楽しかったな。
一息ついたあとに帰ろうとおもって振り向いたら、なんとスカイタワーが・・・
こんなところからスカイタワーが見えるなんて思っていなかったから、ちょっと感激した。
そのあとまたアメ横に戻りちょっと買い物したあと銀座に向かう。
仲間と合流するためだけど、二人の旅はここまで。
その後四人が合流して、子息の就職祝いへ目的を変更して六人で宴会。
うなぎを食べたいという子息に、30代、40代、50代(オレ)の五人と銀座竹葉亭でうなぎ。
まず白焼きからはじめ、高いなぁと言いつつ舌鼓を打ちつつ堪能していった。
締めは、それぞれ。
うな丼A、うな丼B、そして鯛茶、マグ茶。
精算したらもう長い行列、土用の日が近いからかな。
酒のんで長っ尻ですみませんでした。
その後銀座、座ワタミに行った。
大型の男たち六人、最初はクーラーが効いていないところで飲んで、その後狭い場所に押し込められ、でもちゃんと最後は広い場所に案内してくれてよかった。
朝五時までやっていると聴いて、二人帰ったけど四人で朝まで。
で今日朝帰りしたというワケ。
一応記録に残しておこう・・・
楽しかったなぁ。